句の意味・現代語訳
原文 月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身一つの 秋にはあらねど |
現代語訳 月を見ると、あれこれと際限なく 物事が悲しく思われるなあ。私一人だけの秋ではないけれども。 |
句の解説
月を眺めて感じられる秋の悲哀。
秋を悲哀の季節としてとらえる感覚は、平安時代初頭から一般化しました。この歌も、月を眺めてはもの思いにふける孤独な姿が印象的です。
また、「ちち(千々)」「一つ」という言葉の照応は、漢詩に特有な対句の技法を、和歌の表現として応用したもの。歌合せなどで表現の目新しさを競うのには格好の趣向であったのでしょう。古今集の詞書に「 是貞の家の歌合せに詠める」とあります。
作者大江千里は、文章博士で、すぐれた漢詩人 でもありました。漢詩句を題にして和歌を詠んだ「句題和歌」の編者としても知られます。この歌も白居易「白氏文集」の中の「燕子桜」という詩の「燕子桜中霜月の夜 秋来たって只一人のために長し」によっているとされます。それを、いかにも和歌らしい表現として詠んだ歌だともいえましょう。
「いづれを梅とわきて折らまし」(『古今集』冬・ 三三七)という歌もあります。これは、「木」と「毎」を 合体すると、「梅」の一字になるという機知です。
機知のおもしろさは、それによって読み手の注意力が喚起されるということにあります。「山風」「嵐」と いう言葉が続き、また掛詞で「荒し」が連想されて いくうちに、荒々しい山風に吹かれ草木がしおれて いく情景が想い起こされてきます。秋は、荒々しくも、 ものみな枯れ衰える時節です。
句の語句語法
月みれば | 月を見ると。「みれば」は確定条件。 |
---|---|
ちちに | ものこそ悲しけれ「ちぢに」は、「千々に」で、さまざまに・際限なく の意。後半の「一つ」と照応。「もの」は、自分を取りまいているさまざ まな物事。形容詞「悲しけれ」は、係助詞「こそ」の結びで、己然形。 |
わが身一つの | 私一人だけの。「ちちに」と照応させるために、「一人」ではなく、「一つ」とした。 |
秋にはあらねど | 「秋」を悲しい気分 でとらえはじめたのは、平安時代初頭、漢詩文の影響を受けてからの ことであった。なお文脈上、上の句と下の句とは倒置の関係。 |
句の季節・部立
和歌を季節等のテーマ別に分類したもの。
部立 |
---|
秋 |
句の作者
大江千里(9世紀後半~10世紀初頭)
漢学者大江音人の子。百人一首の16番・17番を詠んだ在原行平・在原業平の甥でもあります。唐の詩人らの詩句を和歌 によって表現しようとしました。家集に「句題和歌」があります。
句の出典
出典 |
---|
古今集 |
秋上(193) |
句の詠み上げ
句の決まり字
決まり字 |
---|
つき |
句の英訳
百人一首の句の英訳です。英訳はClay MacCauley 版を使用しています。
英訳 |
---|
As I view the moon, Many things come into my mind, And my thoughts are sad; Yet it’s not for me alone, That the autumn time has come. |