百人一首63番 「いまはただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな」(藤原道雅)の意味と現代語訳
百人一首の63番、左京大夫道雅の歌「いまはただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな」の意味・現代語訳と解説です。
句の意味・現代語訳
原文 いまはただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな |
日本語訳 今となっては、あなたへの思いをきっぱりと思い切ってしまおうということだけを、人づてでなくあなたに直接逢って伝える方法があって欲しいものだ。
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句の作者
左京大夫道雅(992〜1054)
左京大夫道雅(さきょうのだいぶみちまさ)は、藤原道雅(ふじわらのみちまさ)のこと。平安時代中期の歌人で、中古三十六歌仙の一人として知られる人物です。藤原伊周の子として生まれたものの、のちに伊周が失脚したことをきっかけに従三位・左京大夫と低い官位に留まりました。官位から、小倉百人一首では左京大夫道雅と称されます。
句の語句語法
今はただ | 「今となってはもう」の意味。「今」は、後拾遺集の詞書によると、伊勢神宮の斎宮(未婚の皇女。恋愛は厳禁)を勤めて帰京した当子内親王のもとに、道雅が通っていたことが発覚し、天皇が内親王に監視を付けたことで逢えないでいる状態を示す。「ただ」は、下に限定の副助詞「ばかり」を伴い、「ただ~だけ」の意味。 |
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思ひ絶えなむ | 「な」は完了の助動詞「ぬ」の未然形で強意を表し、「~てしまう」の意味。「む」は意志の助動詞の終止形。よって「思ひ絶え」は動詞「思ひ絶ゆ」の連用形で、「想いをあきらめてしまおう」を意味する。 |
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とばかりを | 「と」は引用の格助詞、「ばかり」は限定の意味の副助詞。「~ということだけを」の意味。 |
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人づてならで | 「直接に・人を間に立てずに」の意味。「で」は打消の接続助詞。「~ないで・なくて」の意味。よって、「人づてではなく、直接に」を意味する。 |
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言ふよしもがな | 「よし」は「方法・手段」のことで、「もがな」は願望を表す終助詞。「~があればいいなあ」の意味。 |
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句の決まり字
決まり字「いまは」 |
いまはただ おもひたえなむ とばかりを ひとづてならで いふよしもがな |
句の語呂合わせ(覚え方)
語呂合わせ |
句 | いまはただ おもひたえなむ とばかりを ひとづてならで いふよしもがな |
覚え方 | 今は一つ 一つのキャンディを持つ女の子 |
句の英訳
百人一首の句の英訳です。英訳はClay MacCauley 版を使用しています。
英訳 |
Is there now no way,
But through others' lips, to say
These so fateful words,--
That, henceforth, my love for you
I must banish from my thoughts? |