句の意味・現代語訳

原文
難波潟 みじかき芦の ふしの間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや
現代語訳
難波潟の芦の、その短い節と節の間の様な、ほんのわずかな間も逢わないまま、私にこの世を終えてしまえと、あなたは言うのでしょうか。

句の解説

わずかな逢瀬も許されない恋への絶望感。

芦の節と節の間が短い事を時間の短さに転換する序言葉によって、ほんんおわずかの時間の逢瀬にもかなうことのない、恋の痛ましい現実を浮かび上がらせています。「芦・節・節」の縁語を軸にした言葉相互のひびきあいも効果的です。下の句の「過ぐしてよとや」は、相手を強くなじるような言葉でもあり、それとともに空いて派の激しい思慕の情も言い込められています。

「世」は男女の仲をさす場合が多い言葉です。ここではそれにとどまらず、実ることのない恋をしてしまった自分自身の人生が、いかに痛ましいものとして見つめられています。芦の生え茂る名所とされる難波潟の風景が、作者の孤独な心のありようを象徴してもいるようです。

句の語句語法

難波潟「難波」は、現在の大阪市やその周辺の古称。「潟」は、干潟になる遠浅の海岸。
みじかき芦の「芦」はイネ科の多年草。水辺に自生し、節と節の間は短い。ここまでが序言葉。
ふしの間も上からは短い節と節の間と続き、下へのほんのわずかな時間もと続いて、二重の文脈を作る。掛詞。
逢はでこの世を「世」は、男女の仲、人生、世間など様々な意味に用いられる。ここでは、男女の仲から人生の意へと広がっている。節と節の間を意味する「節」がひびいて、「節」とともに「芦」の縁語となっている。
過ぐしてよとや私にこのまま人生を過ごしてしまえとあの人は言うのか、の意。

句の季節・部立

和歌を季節等のテーマ別に分類したもの。

部立

句の作者

伊勢(877~938)

伊勢守藤原継蔭の娘。三十六歌仙の一人。宇多天皇の中官温子に仕え、温子の兄藤原仲平や宇多天皇に愛されました。古今集時代の代表的女流歌人。家集に『伊勢集』があります。

句の詠み上げ

句の決まり字

決まり字
なにはが

句の英訳

百人一首の句の英訳です。英訳はClay MacCauley 版を使用しています。

英訳
Even for a time
Short as a piece of the reeds
In Naniwa’s marsh,
We must never meet again:
Is this what you are asking me?