句の意味・現代語訳

原文
奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき
現代語訳
人里離れた奥山で、散り敷いた紅葉を踏み分けて泣いている鹿の声を聞くときこそ、いよいよ秋は悲しいものと感じられる。

句の解説

お鹿がめ鹿を求めてなく趣は、万葉集の頃からよく歌に詠まれました。「その鹿の鳴き声を聞く時を、秋の最も深い悲しみの時だ」とした所にこの歌の特徴があります。

紅葉は晩秋を彩る華麗な景物であるものの、ここでは滅びの前の際立った華麗さが、秋の悲哀の極まった風景として捉えられています。

古今集の詞書には「是貞の親王の家の歌合の歌」とあります。この歌合は9世紀末に催されているから、当時すでに秋は悲哀の季節として思われていたことになります。このような季節感は、秋を喜ぶべき収穫の時節とする農耕生活からは、容易に生まれては来ません。いわば田園の生活から離れた都会的精神によっていると見られています。

秋を生命が衰え滅びる季節と捉え、それに自らの人生の時間を重ね人間存在の儚さを意識する時、「秋は悲し」の季節感覚が生まれてくるのでしょう。

句の語句語法

奥山人里離れた奥深い山
紅葉踏みわけ紅葉が散って一面にしているところを鹿が踏みわけていく。
晩秋である。古来主語が鹿か女か解釈が分かれてきたが、ここでは鹿とする。
鹿の声という聴覚的な契機から。紅葉を鹿が踏み分けていく姿を想像しているのである。
鳴く鹿の秋に牡鹿は雌鹿を求めて泣くとされ、そこに遠く離れた妻や恋人を恋い慕う心情を重ねることが多かった。

ここもその情感を言いこめる。
声聞くときぞ系助詞「ぞ」とは強意。文末を形容詞の連体形「悲しき」で結ぶ。秋を悲しく感じる時は他にも色々あるけれど、鹿の鳴き声を聞く時がとりわけ。
秋は系助詞「は」は他と区別して取り立てて言うのに用いられる。つまり「他の季節はともかく秋は」という意が含まれる。

句の季節

季節

句の作者

猿丸大夫(8世紀~9世紀)

8世紀から9世紀頃の人物と考えられています。36歌仙の一人でありながら実在さえも疑われる伝説的歌人。

句の出典

百人一首5番 「奥山に…」は古今和歌集が出典であり、古今和歌集では「読み人知らず」とされています。そのため、猿丸大夫が詠んだ和歌かどうかは分かっていないながら、「百人一首」では猿丸大夫が詠んだものと明記されています。

出典
古今和歌集

句の詠み上げ

句の決まり字

決まり字
おく

句の英訳

百人一首の句の英訳です。英訳はClay MacCauley 版を使用しています。

英訳
In the mountain depths, 
Treading through the crimson leaves, 
The wandering stag calls. 
When I hear the lonely cry, 
Sad–how sad!–the autumn is.