百人一首28番 「山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば」(源宗行朝臣)の意味と現代語訳
百人一首の28番、源宗行朝臣の歌「山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば」の意味・現代語訳と解説です。
句の意味・現代語訳
原文 山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば |
日本語訳 山里はいつの季節でも寂しいが、冬はとりわけ寂しさが募るものだった。尋ねる人もなくなり、草も枯れてしまうと思うので。
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句の作者
源宗行朝臣(生年不詳〜983)
源宗行朝臣(みなもとのむねゆきあそん)は、源宗于(みなもとのむねゆき)のこと。三十六歌仙の一人で、平安時代前期の貴族であり、歌人としても活躍しました。第58代天皇である光孝天皇の孫として生まれたものの、官位に恵まれずに正四位下・右京大夫にとどまってしまいました。「大和物語」には自分の不遇を嘆いた歌を残しています。
句の語句語法
山里は | 区別を表す係助詞。都とは違うことを示し「(都ではなく)山里は」と解釈できる。 |
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冬ぞさびしさまさりける | 「冬」は陰暦における「十月」「十一月」「十二月」の意。「ぞ」は強意の係助詞。「まさり」は動詞「まさる」の連用形で「増す」「つのる」という意。「ける」は、詠嘆の助動詞の連体形で「ぞ」の結び。以上から「季節の中で冬は格別にさびしさが増す」と解釈できる。 |
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人目も草も | 「人目」は人の意、「も」は並列の係助詞。「人目も草も」で「(人も草も)すべての生き物が」と解釈できる。 |
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かれぬと思へば | 「かれ」は「(「人目」を受けて)離れ」と「枯れ」の掛詞で二重の意味を持つ。「離れ」は「人が来なくなる」を意味し、「ぬ」は完了の助動詞の終止形である。「思へば」は倒置法で句の最初にある「山里」に続く表現。 |
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句の決まり字
決まり字「やまざ」 |
やまざとは ふゆぞさびしさ まさりける ひとめもくさも かれぬとおもへば |
句の語呂合わせ(覚え方)
語呂合わせ |
句 | やまざとは ふゆぞさびしさ まさりける ひとめもくさも かれぬとおもへば |
覚え方 | 山里、ひと目 山里で風景を眺める男の子 |
句の英訳
百人一首の句の英訳です。英訳はClay MacCauley 版を使用しています。
英訳 |
Winter loneliness
In a mountain hamlet grows
Only deeper, when
Guests are gone, and leaves and grass
Withered are;--so runs my thought. |