百人一首45番 「あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな」(藤原伊尹)の意味と現代語訳
百人一首の45番、謙徳公の歌「あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな」の意味・現代語訳と解説です。
句の意味・現代語訳
原文 あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな |
日本語訳 私のことを哀れだといってくれるはずの人は思い浮かばず、きっと私ははかなく死んでいくのだろうなぁ。
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句の作者
謙徳公(924〜972)
謙徳公(けんとくこう)は、藤原伊尹(ふじわらのこれただ)のこと。平安中期の貴族であり、歌人。「後撰集」の撰者でもありました。右大臣だった藤原師輔の長男として生まれ、摂政、次いで太政大臣を歴任したものの、早くに亡くなった人物です。
句の語句語法
あはれとも | 「あはれ」は「かわいそう・気の毒に」を意味する感動詞。「と」は、引用の格助詞。「も」は強意の係助詞。 |
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いふべき人は | 「べき」は当然の意味の助動詞「べし」の連体形で、「~はずの」の意味。「人」は最愛の人。よって「言ってくれそうな最愛の人は」を意味する。 |
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思ほえで | ヤ行下二段活用動詞「思ほゆ」の未然形で「思い浮かぶ」の意味。「で」は打消の接続助詞で「~ないで」の意味。よって「思い浮かばず」を意味する。 |
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身のいたづらに | 「無駄だ」の意味を表すナリ活用の形容動詞「いたづらなり」の連用形。「いたづら」は「はかない・無駄だ」の意味で、「身を無駄にする」は「死ぬ」ことを意味し、特にむなしい死に様を表す。 |
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なりぬべきかな | 「ぬべし」は、完了の助動詞「ぬ」と推量の助動詞「べし」が接続した言葉で、強調の意味。「ぬ+べき(「べし」の連体形)」で「きっと~にちがいない」の意味を表す。よって「なってしまうのだろうなあ」を意味する。「かな」は、詠嘆の終助詞。 |
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※「拾遺集」の詞書によると、付き合っていた女性が冷たくなり、最終的に相手にしてもらえなくなったという状況で詠まれた歌とある。 | |
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句の決まり字
決まり字「あはれ」 |
あはれとも いふべきひとは おもほえで みのいたづらに なりぬべきかな |
句の語呂合わせ(覚え方)
語呂合わせ |
句 | あはれとも いふべきひとは おもほえで みのいたづらに なりぬべきかな |
覚え方 | 哀れみの 悲しみを抱える女の子 |
句の英訳
百人一首の句の英訳です。英訳はClay MacCauley 版を使用しています。
英訳 |
Sure that there is none
Who will speak a pitying word,
I shall pass away.
Ah! my death shall only be
My own folly's (fitting end). |