百人一首60番 「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立」(小式部内侍)の意味と現代語訳
百人一首の60番、小式部内侍の歌「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立」の意味・現代語訳と解説です。
句の意味・現代語訳
原文 大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立 |
日本語訳 大江山を越えて生野を通って丹後へ向かう道は遠すぎるので、いまだ天橋立に行ったこともなければ、(丹後の国にいる)母からの手紙も見ていません。
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句の作者
小式部内侍(999〜1025)
小式部内侍(こしきぶのないし)は、平安時代中期の歌人で、女房三十六歌仙の一人。橘道貞と和泉式部の娘として生まれました。幼少期から歌人としての才能を発揮していたものの、20代中盤で早逝した人物です。
句の語句語法
大江(おほえ)山 | 京都府西北の山。鬼退治で有名な丹後の大江山とは別で、大枝山とも書く。 |
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いく野の道の | 生野は、京都府福知山市字生野を指し、昔は丹後へ行くために生野の里を通った。この「いく野」には「野を行く」の「行く」を掛けている。「の」は、主格の格助詞。 |
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遠ければ | 形容詞「遠し」の已然形+接続助詞「ば」で、順接の確定条件。よって「遠いので」の意味。 |
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まだふみも見ず | 「ふみ」に「踏み」と「文(ふみ)」、つまり手紙を掛けた掛詞。母のいる天の橋立へは行ったこともないし、母からの手紙もまだ見てはいない、ということを重ねて表す。さらに、「踏み」は「橋」の縁語。小式部内侍の華麗なテクニックが伺える。当時、10代半であった小式部内侍は歌が優れていたため、それらの作品は丹後に赴いていた母の和泉式部による代作ではないかとの噂があった。「金葉集」の詞書に、この歌は、歌合の前に藤原定頼が「代作を頼むために丹後へ人を遣わされましたか」と小式部内侍をからかったことに対する返答として即興で詠まれたものであると記されている。つまり、作品は小式部内侍本人の才能によるものであり、代作ではないことを主張している。 |
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天の橋立 | 京都府宮津市にある名勝で、日本三景のひとつ。 |
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大江山 | 源頼光の鬼退治で有名な大江山は、京都府北部の山であるが、この歌に詠まれた大江山は、道順から考察して、京都府南部の大枝山を指していると推測される。 |
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句の決まり字
決まり字「おほえ」 |
おほえやま いくののみちの とほければ まだふみもみず あまのはしだて |
句の語呂合わせ(覚え方)
語呂合わせ |
句 | おほえやま いくののみちの とほければ まだふみもみず あまのはしだて |
覚え方 | 大江、まだ? 大江川でまだ釣りをしている男の子 |
句の英訳
百人一首の句の英訳です。英訳はClay MacCauley 版を使用しています。
英訳 |
As, by Oe's mount
And o'er Iku's plain, the way
Is so very far,--
I have not yet even seen
Ama-no-hashidate. |