百人一首76番 「わたの原 こぎいでてみれば 久方の 雲いにまがふ 沖つ白波」(藤原忠通)の意味と現代語訳
百人一首の76番、法性寺入道前関白太政大臣の歌「わたの原 こぎいでてみれば 久方の 雲いにまがふ 沖つ白波」の意味・現代語訳と解説です。
句の意味・現代語訳
原文 わたの原 こぎいでてみれば 久方の 雲いにまがふ 沖つ白波 |
日本語訳 大海原に漕ぎ出してずっと遠くを見渡してみると、かなた向こうに雲と見わけがつかないような沖の白波が立っていたよ。
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句の作者
法性寺入道前関白太政大臣(1097〜1164)
法性寺入道前関白太政大臣(ほっしょうじのにゅうどうさきのかんぱくだじょうだいじん)は、藤原忠通(ふじわらのただみち)のこと。平安時代後期の公卿であり、歌人でした。関白・藤原忠実の次男として生まれ、摂政、関白、太政大臣を歴任した人物で藤原家の氏長者でした。弟の藤原頼長と対立し、氏長者の地位を略奪されてしまうものの、保元の乱で勝利することで地位を回復しました。法性寺関白を通称とした人物です。
句の語句語法
わたの原 | 広々とした大海原。「わた」は海を示す。 |
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漕ぎ出でて見れば | 「船で漕ぎ出して、見渡してみれば」の意味。「見れば」は、マ行上一段動詞「見る」の已然形に、接続助詞「ば」がつき、順接の確定条件を表す。よって「すでに行っている」を意味する。 |
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久かたの | 「天・日・月・空・雲・雨」など天空や気象に関するものに掛かる。ここでは「雲居」にかかる枕詞となっている。 |
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雲居 | 雲そのものを意味しているが、本来は雲のいるところ、つまり「空」を意味する。 |
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まがふ | 「混じり合って見分けがつかなくなる」の意味。ここでは「白い波と白い雲の見分けがつかない」を意味する。 |
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沖つ白波 | 「沖の白波」の意味だが、「つ」は上代に使われた古い格助詞で、「の」に当たる。また、この歌は体言止めになっている。 |
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句の決まり字
決まり字「わたのはら こ」 |
わたのはら こぎいでてみれば ひさかたの くもゐにまがふ おきつしらなみ |
句の語呂合わせ(覚え方)
語呂合わせ |
句 | わたのはら こぎいでてみれば ひさかたの くもゐにまがふ おきつしらなみ |
覚え方 | わたの原 子蜘蛛いる 海辺で小さな蜘蛛を見つける男の子 |
句の英訳
百人一首の句の英訳です。英訳はClay MacCauley 版を使用しています。
英訳 |
O'er the wide sea plain,
As I row and look around,
It appears to me
That the white waves, far away,
Are the ever shining sky. |