百人一首77番 「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ」(崇徳院)の意味と現代語訳
百人一首の77番、崇徳院の歌「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ」の意味・現代語訳と解説です。
句の意味・現代語訳
原文 瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ |
日本語訳 川の瀬の流れが速いので、岩にせき止められる急流が時に一度2つに別れても再び合流するように、愛しいあの人と今はたとえ別れていても、後にはきっと必ず結ばれるものだと思っています。
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句の作者
崇徳院(1119〜1164)
崇徳院(すとくいん)は、第75代天皇。名は顕仁(あきひと)で、後鳥羽天皇の第一皇子として生まれました。鳥羽上皇の名で、22歳にして近衛天皇に譲位しました。しかし、近衛天皇の崩御後である平安時代末期(1156年)に起きた保元の乱にて後白河天皇に破れ、讃岐に配流されました。配流先の讃岐で崩御し、配流後は讃岐院とも呼ばれました。
句の語句語法
瀬を早(はや)み | 「瀬」は川底が浅く、流れの速い場所。「~を」+形容詞の語幹+「み」と続くと、「~が(形容詞)なので」という理由を表す言葉を示す。よって「川の瀬の流れが速いので」の意味。 |
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岩にせかるる 滝川(たきがは)の | 「せかる」は「堰き止められる」という意味の、カ行四段の動詞「せく」の未然形で、後に受動態の助動詞「る」が付く。「滝川」は、急流・激流。現代語の滝に相当する古語は、垂水(たるみ)。「の」は、比喩を表す格助詞。ここまでが、「われても」を導き出すための序詞。 |
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われても末(すえ)に | 「われ」は動詞「わる」の連用形で、「水の流れが2つに分かれる」という意味と「愛し合う男女が別れる」という意味を掛けている。「ても」は接続助詞+強意の係助詞で、逆接の仮定条件を表す。「たとえ~したとしても」の意味。「末」は、将来・行く末。よって「2つに分かれてたとしても後々には」を意味する。 |
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逢はむとぞ思ふ | 「あは」は、「水がまたひとつに合う」ことと、「別れた男女が再び結ばれる」の2つの意味を掛けている。「きっと逢いたいと思っている」の意味。「ぞ」は、強意の係助詞。「思ふ」は、ハ行四段の動詞「思ふ」の連体形で、「ぞ」の結び。 |
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句の決まり字
決まり字「せ」 |
せをはやみ いはにせかるる たきがはの われてもすゑに あはむとぞおもふ |
句の語呂合わせ(覚え方)
語呂合わせ |
句 | せをはやみ いはにせかるる たきがはの われてもすゑに あはむとぞおもふ |
覚え方 | 背割れ 背中を丸めて裂けた本を読む女の子 |
句の英訳
百人一首の句の英訳です。英訳はClay MacCauley 版を使用しています。
英訳 |
Though a swift stream be
By a rock met and restrained
In impetuous flow,
Yet, divided, it speeds on,
And at last unites again. |