句の意味・現代語訳

原文
わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそしらね かわくまもなし
日本語訳
私の袖は、潮が引いたときも水面に見えない沖の石のようだ。他人は知らないだろうが、涙に濡れて乾く間もない。

句の作者

二条院讃岐(生没年不詳)

二条院讃岐(にじょういんのさぬき)は、二条院讃岐(にじょういんのさぬき、生没年不詳:1141年(永治元年)頃 - 1217年(建保5年)以降)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての歌人である。女房三十六歌仙の一人。父は源頼政。母は源斉頼の娘。同母兄に源仲綱があり、従姉妹に宜秋門院丹後がある。内讃岐、中宮讃岐とも称される。 1141?~1217? 平安末期・鎌倉初期の歌人。源頼政の娘。二条天皇、後鳥羽天皇中宮任子に仕えた。 平安末期から、鎌倉時代初期にかけての歌人で、源頼政の娘として生まれました。二条天皇、後鳥羽天皇中宮任子に仕えた人物で、女房三十六歌仙の一人として数えられました。

句の語句語法

潮干に見えぬ沖の石の「潮干(しほひ)」は、海の水位が一番低くなる引き潮の状態のことを示す。「に」は、時を表す格助詞。「見え」はヤ行下二段動詞「見ゆ」の未然形、「ぬ」は打ち消しの助動詞「ず」の連体形。「石の」の「の」は、比喩の格助詞。また、「潮干に見えぬ沖の石の」は、次の「人こそ知らね乾く間もなし」の序詞となっている。
人こそ知らね「人」は、世間の人。取り方によっては、「恋人(相手)」ともとれる。「こそ」は強意の係助詞。「ね」は上の「こそ」の結びで打ち消しの助動詞「ず」の已然形。「こそ~已然形」で、逆接の意味。よって「他人は知らないけれども」を意味する。
乾く間もなし最初の「わが袖は」を受ける言葉。「も」は強意の係助詞。
かわく間もなし「も」は、強意の係助詞。
わが袖は「が」は、連体修飾格の格助詞。「袖」を「沖の石」にたとえている。

句の季節・部立

季節・部立

句の決まり字

決まり字「わがそ」
わがそでは しほひにみえぬ おきのいしの ひとこそしらね かわくまもなし

句の語呂合わせ(覚え方)

語呂合わせ
わがそでは しほひにみえぬ おきのいしの
ひとこそしらね かわくまもなし
覚え方我が袖は人こそ知らね
袖を見つめる男の子

句の出典

出典
千載集

句の詠み上げ

句の英訳

百人一首の句の英訳です。英訳はClay MacCauley 版を使用しています。

英訳
Like a rock at sea, E'en at ebb-tide hid from view, Is my tear-drenched sleeve:-- Never for a moment dry, And unknown in human ken.