百人一首97番 「来ぬ人を 松帆の浦の 夕凪に 焼くやもしほの 身もこがれつつ」(藤原定家)の意味と現代語訳
百人一首の97番、権中納言定家の歌「来ぬ人を 松帆の浦の 夕凪に 焼くやもしほの 身もこがれつつ」の意味・現代語訳と解説です。
句の意味・現代語訳
原文 来ぬ人を 松帆の浦の 夕なぎに 焼くやもしほの 身もこがれつつ |
日本語訳 どれほどに待っても来ない人を待ち焦がれているのは、松帆の浦の夕凪のころに焼く藻塩が焦げるように、わが身も恋い焦がれて苦しいものです。
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句の作者
権中納言定家(1162〜1241)
権中納言定家(ごんちゅうなごんさだいえ / ていか)は、藤原定家(ふじわらのさだいえ / ていか)のこと。鎌倉初期の歌人で藤原俊成の子として生まれました。藤原俊成の提唱した幽玄体を独自に発展させた「有心体」を提唱し、新古今調の和歌を大成した人物として知られます。最終的な官位は「正二位・権中納言」で京極中納言、または京極殿と呼ばれました。また、歌集に対しても大きな功績を残した人物で、「新古今和歌集」撰者の一人であり、新勅撰和歌集を編纂、小倉百人一首の撰者でもありました。日記の「明月記」も有名な著作の一つとして知られます。
句の語句語法
来ぬ人を | 「来(こ)」は、カ変の動詞「来(く)」の未然形。「ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。 |
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まつほの浦 | 兵庫県淡路島北端にある海岸の地名。松帆浦の「松」と、「待つ」が掛詞。 |
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焼くや藻塩(もしお)の | 「焼く」や「藻塩」は「こがれ」と縁語で、和歌ではセットで使われる。「や」は、詠嘆を表す間投助詞。「藻塩」は、海水を滲みこませた海藻を焼き、水に溶かして煮詰め、精製した塩。「まつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の」は、「こがれ」を導き出す序詞(じょことば)。 |
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夕凪(ゆうなぎ) | 夕方、風が止んで海が静かになった状態。山と海の温度が、朝と夕方にほぼ同じになるため、海風から陸風にかわるときに無風状態が発生する。 |
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身もこがれつつ | 火の中で燃えて身を焦がす海藻(藻塩)の姿と、恋人を待ちこがれる少女の姿を重ねた言葉。「つつ」は、反復の接続助詞。 |
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句の決まり字
決まり字「こぬ」 |
こぬひとを まつほのうらの ゆふなぎに やくやもしほの みもこがれつつ |
句の語呂合わせ(覚え方)
語呂合わせ |
句 | こぬひとを まつほのうらの ゆふなぎに やくやもしほの みもこがれつつ |
覚え方 | 来ぬ人を焼く キャンプファイヤーで手紙を燃やす女の子 |
句の英訳
百人一首の句の英訳です。英訳はClay MacCauley 版を使用しています。
英訳 |
Like the salt sea-weed,
Burning in the evening calm,
On Matsuo's shore,
All my being is aglow,
Waiting one who does not come. |